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無いものねだりをした結果たくさんの墓標ができてしまった・・地方に住んでいると本当に大切なことが分からなくなってしまうのだろうか

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一期目となる選挙戦時に彼は言い放った。「このままでは由利本荘市は夕張になる」。この言葉が有権者の心をつかみ相手候補を破り当選した。

当時、市は、特例債を使った大型事業を次々と模索、実行をしている最中だった。これら一連の事業に対し、市財政への危機感を喚起するために有権者へと訴えた言葉が賛同され当選した。

だが、当選後、公約を反故にし、夕張市を彷彿させるかのごとくハコモノ事業に邁進した。役所に取り込まれたということか。結局、市の地場産業は公共事業という構図が変わることは無かった。

現在、推進中の大型事業は体育館建設である。既に市には大きな体育館がある。既存体育館に問題があるとは考えにくい。古いわけでもなく狭いわけでもなく、機能が見劣りするわけでもない。でも、新規建設を強行した。後世に名を残したいということか。総事業費は80億円を超える事業である。竣工後の年間維持費は2億円を超える試算が出ている。人口は8万人にも満たない。高齢者の割合も3割を超えている。識者ならこの市に二つ目の新規建設は不要だと判断すると考える。それとも、不要であるという考えが異端なのか。

年間利用者数はのべ15万人程度を想定しているそうだ。巨額の費用をかけている割には15万人だけだとは。

体育館を強調すると弊害があると考えたのか、施工前のある時から防災公園アリーナという呼び方をしている。防災という言葉が免罪符らしい。

本気で新体育館ができれば市民の暮らしぶりが良くなると考えているのか。それよりも年間2億円以上という維持費が重く市民にのしかかり、必要な事業が削られる可能性を心配ないのか。

新体育館建設よりも将来、市民の負担が増えないことを目指すべく行政の効率化が優先と発想できないのか。

市民が効率良く快適に日常を過ごせるようにと、何を改善すべきなのか、その答えはハコモノの構築ではないと考えてはくれないのか。

過剰なハコモノ投資より、路肩が崩れていたり、迷路のようになっている生活道路を改修すれば、通勤のストレスを解消でき、通学中の子どもたちの安全確保にもつながると思わないのか。

また、学校の老朽化した設備の買い替えや改修をし、子どもたちがより快適に学習できることの方が大事だとは考えられないのだろうか。

体育館建設の前には、旧市街地の再構築、ケーブルTV網の構築、大型文化複合施設の建設、橋梁の建設、消防署の建設、伝承館の建設を実行してきた。老朽化により更新が必要だったとしても、建設費用、維持費用、投資回収、合理性の考慮無しに建造している。ニーズよりも規模だけを追いかけた事業としか思えない。

シンボルタワーになるような橋梁を造るのであれば、予算を分割にして川を渡ることができる場所増やした方が、より住民のためになると考えるべきではなかったのか。

田舎に、都会化を目指したハコモノを造れば造るだけ、人が流出してしまうということに気付いてほしかった。

市が誕生した時に9万人近くいた市民は今や7万8千人台である。人口減少率は県内の各市町村と比べても高い。地域の活性化を謳い文句にハコモノを完工した結果である。ハコモノ事業が人口減少の役には立たないことはこの数字で証明されている。でも、反省の弁はない。それよりもできたハコモノを自慢している。さらに、人口減少阻止にはまだ施設が足りないと考えている。次は新市役所の建造でもと・・

人口の減少は優秀な人材がいなくなり、地域の教育水準が低下することにもつながる。それを肌で感じている子育て世代は隣接する秋田市へ引っ越していると聞く。

人が流出し続ければ地域がどうなるのか、そんなことは分かっているはず。進むべき道を誤った市に繁栄という未来はない・・新たに誕生する墓標を見つめながら考えた結論である。

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