頭上注意
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鳥海山を背景とした田植えの季節になると現れるこの光景、でもいつの頃からか田園地帯に行けばどこでも見られるわけではなく、水が張られている場所を探す必要があるというのが今の状況である。
稲の作付面積が年々減少しているのは、日本の人口減少、高齢化、少子化を考えるとごく当然である。その昔、余剰面積になるのが分かっていても干拓事業が続けられていたことも拍車をかけているのだろう。
人口減少と言えば、平成の大合併で誕生したここ由利本荘市に住む人々も随分と少なくなったと感じる。合併当初は9万人近くだった人口も今や8万人割れに秒読みの状態である。
合併直後に策定された市の総合計画では人口減少を食い止め8万6千人台で推移させるとして、そのためには大型の公共事業の集中投下が必要だと言い、合併特例債と言う名の血税をつぎ込み次々と事業を推進したが、結果人口減少の歯止めにはならず血税を散財しただけとなった。しかも造られてしまった墓標は維持せねばならず、これにも血税が散財されるかと思うと頭が痛い限りである。
合併時に策定した事業は完了したということで、市は昨年新たな総合計画を策定し現在それを実行中である。中身を見ると過去の事業を反省した様子はなく、言葉を据え換えただけの事業が羅列されいる。
約10年後の人口を7万2千人以上に維持するとしているが、対策として行う事業、その本質は変わっていないので失敗に終わるだろう。一番理解しがたいのが大型の公共施設を新たに造っても単なる墓標になるだけと分かっていながら、現在、巨大アリーナを建設を実行していることである。
これだけ人口が少なくなった市に、5千人の観客が収容可能と銘打つ施設の建設は滑稽である。大きなアリーナが市に無いのなら分かるが既にあるのだからなおのこと滑稽に思えるのである。
建設後は施設の利用料や興行収入で維持すべきであるが、血税を投入せずに維持していけると計算されているとは思えないので、やはりこの施設も血税で墓標維持の対象になるに違いない。
高額な維持費がさらに発生するといこと、住み易さを強調するために行っている事業が地元に住む人々の税負担につながるため、むしろ住みにくくなるということにつながると考えないのだろうか。
市もこのような突込みを想定したのか、着工前にはいつの間にかアリーナを強調せず災害対策の拠点と位置付けるようになった。人口が減っているだから避難場所としてさらに大きなスペースが必要というのは理解しがたい。
災害があると話題となることであるが、一つの施設に避難する人が多くなるほど、インフルエンザ、ノロウイルスなど感染症の対策に頭を悩ますことになるなど弊害もあるということは考えているのだろうか。
アリーナの建設は建設地域の人たちが切願したそうであるが、なぜ市の行政はいつも少数意見を拾い上げて事業を行うことを優先するのだろうと思ってしまう。
市はこの国が議会制民主主義で行政を執行するということを忘れてしまっているだろうか?それとも市が考えているのは行政に少数意見を取り入れることが平等な社会作りになるということか。
話がそれるが、そう思うと世の中平等ではないという肝心なことを義務教育で教えてこなかったことが、このような事態を招いていると考えたくなる。
行政が頑張って血税を投入しこれまでと同じ意味合いの事業を実行したところで人口減少は止まらない。世の中便利になり人の流動性が高まったのだからもう解決できない難題になったことを認識するべきである。
生まれた人がその地域で生涯を送るというのは義務ではない。自分が活躍する場所、住み易い場所を求め移動するのは当然である。事実、秋田県出身で活躍している著名な方々の殆どは県外に住居を構えているではないか。
本来人がそこに住むと言うのは、住む人が何らかの理由があり決断することであり、行政がとやかく言って事業を行い人を誘い込むものではないと考える。住みたい人が住み、住んでいる人々が協調しあって住み易い環境を整えることが自然であり、その方が行政主導よりも魅力のある街が生まれると考える。
我々住民も行政に都会並みの施設をおねだりすることにより血税が投入され自らの首を絞めていと認識すべきである。魅力ある街は住民の手でしか生み出すことができない。
春を向かえそう思う今日この頃です。
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