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今年も今日で

Ks1012

今週は、いつもの書き込みとは異なり、年の瀬に私の思うことを綴ってきましたが、今日がその最後です。

「マニュフェストを反故にし、権力側に付いた政権・・この国が官僚ファシズム国家から真の民主主義国家へ脱却できる日が来るのは程遠いなあと・・そう落胆したこの一年でした。

さて、この場所もずいぶんと様子が変わったなあ・・年の瀬に車を走らせながら、そう感じていました。

道が広くなり、店の建屋が新しくなったものの、ここから発信されるモノは何も変わらないので、行政が言う新たなにぎわいの創出は無理だろうなあと・・・

でも、考えてみると・・こうやって以前の面影も無くなるほど、街並みを変えてることができるのですから、ここには絶対に残すべきだという歴史的、伝統的なモノが何も無かったということの証でもあるのかもしれません。

この地でなければと、守るものが無ければ、より環境の良いところで暮らそうと思うのは当然の流れ・・人がそこにいるかどうかは、単純にハコモノがあるかどうかではないとそう思うのです。

今年は、国勢調査が行われました。

速報値では、秋田県の人口は5年前に比べると、6万人近くも減少したとのこと・・これは、能代市一つ分、消滅したことに匹敵する人数です。

景気がどうのこうのという前に、県内の潜在的な市場規模が人口減少とともに、縮小しているのですから、県内の経済が衰退するのは自然の流れということですね。

この状況の中、未だに魅力的なハコモノがあれば、人が集まりにぎわいができると、行政側は呪文を唱えながら既にあるモノですらさらに造っています。

それで完成後は誰を集めるの?ということになり、集まるのは結局、Air秋田県民??ってことになっちゃうわけですね(笑)。

秋田に限ったことではないのですが、人口・需要規模を考えず各行政単位で、色々なモノを濫立してしまいました。

結果、維持管理のための費用が嵩み、行政コストを圧迫、その分、教育や医療など社会保障の方にお金が回らなくなっている状態を生み出しています。

官僚・役人のマネロン目的の事業・・この附け・・最後は市民生活に跳ね返ってくるということですね。

せめて、ある場所に集中して施設を造れば、人を集められたものの、どれもこれも、一点もので孤立した施設・・有効活用をと言われても、需要の掘り起こしさえ困難な状況です。

秋田市でさえも県と市のモノが点在・・御所野の開発を行わず、海に面した土崎地域を核として、ここに秋田駅を移転、各施設は周辺に集中させ、海と陸の一体化した開発をしていたならと思うのですが・・今更言っても、既に遅しということで・・・

大館・能代空港・・毎年3億円以上の赤字を税金で補填・・こんなものを造るのだったら、山形と協業し、フル規格で福島から新幹線を整備すれば良かったのでは?と思うのです。

モノがあっても使い勝手が悪いものだらけ、このような環境の中で、活気ある暮らしをしなさいって言われても・・市民レベルの努力にも限界があります。

歴史を振り返ると、秋田は米所であり、ハタハタに代表されるように水産資源は豊富、山の自然がもたらす恵みもたくさんあった・・そこへ、銅や銀の鉱山資源に石油の産出、高度経済成長期ごろまでは、自然を相手にしていればそれでよかったわけです。

でもそんな繁栄はいつまでも続くものではありません、近代的な工業など産業の振興に力を入れるのが遅れる中、出るものが出なくなり、これらで魅了していた秋田は、一変せざるを得なかったのです。

かつて、歓楽街と呼ばれたところは、出るものがなくなると同時に、衰退の一途をたどりました。

それでも、秋田らしい魅力を創出することができていれば、人がやってくるはずなのですが・・自然に産出されるものをそのまま、さあどうぞと、提供していたのですから、他に何ができるのかを上手に見出せずに手を拱いたまま・・そんな気がします。

雄大な秋田の自然環境を大切に保全、継承していれば、観光に強い県になったと思うのですが・・自然破壊も広大に行われてきました。

西湖で幻とされた國鱒が見つかったこと、とても幸いなことなのですが、元は言えば、田沢湖にいた世界的に見ても貴重な魚・・これを玉川の毒水により、意図も簡単に死滅させてしまったのですから・・・

田沢湖の生態系だけではなく、八郎湖の干拓事業により、貴重な大きな汽水湖を失いました。

生育環境も考えず、山々をスギの人工林化・・これにより、貴重な天然のブナの森も広大な面積が消失です。

山の姿が変わってしまった副次効果により、海中の様子も変わり、ハタハタなどの漁獲量が減少したのではという指摘もあります。

目先の利権・利益を最優先・・将来のためには、過去を振り返り、きちんと反省をしなければならないのですが、秋田は困ったことに、過去の事例に対し十分な反省を行わなかったので、大切なものを次々と失うこととなった・・そういう思いがしています。

自然豊かな秋田であったからこそ、暮らしてこれたはずなのに、貴重な自然を官僚たちへ売り払ってしまったのでは、生活の糧が無くなったというのも無理がないことでは??

地方である秋田が、環境がまったく異なる大都会の手法により街づくりをしたところで、結局、ここの伝統や文化、自然環境には合わず破綻するということでしょうか?

ここは秋田なんだということを考えずに、お金が手に入ると、上から言われるがままに色々なことをやってしまった・・だから秋田には守るべきものがなくなってしまった・・考えているうちに、そう思うようになりました。

県は、「秋田人“変身”プロジェクト」なんて余計なおせっかいをしていましたが、変わらなければならないのは民意に関係なく一方的に押しつける行政側の考え方です。

「いいふりこぎのひやみこぎ」が本質的な問題ではなく、行政側が、秋田にあった良いもの、秋田らしさを壊し、失ってきたことが問題なのです。

ここできちんと反省し、秋田らしいことをできるように、行政の方向転換ができなければ、秋田の将来は・・・ってことかと考えます。

だって、「別に秋田じゃなくてもいいんじゃないの?」って言われれば、最後は何もかも出て行くことになりますよね??

市民レベルでは、色々な努力をしてます・・でも、なぜか役人たちがそれを邪魔をしている気が・・・

今年も一年、ご愛読ありがとうございました。

筆末ながら・・皆様良いお年をお迎えくださいませ!!

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